本日は重めの内容且つ身の上話が含まれるので注意!苦手な方はブラウザバックを推奨します。
俺の親父はアルコール依存症である。
昨日今日に始まった話ではない。俺が生まれた20年前からずっとだ。
一口に依存症と言っても、見たことがない人にはわからないだろう。
とにかくずっと、切れ間なく酒を飲み続ける。昼も夜も関係ない。
酒が切れると半狂乱になり、周りに怒鳴り散らし、翌日には何の記憶もない。
「お前には話していない」
「引っ込んでろへなちょこ野郎が」
「誰のカネで生きてると思ってるんだ」
「自意識過剰野郎が」
中学生時代、何度こういった言葉に傷ついただろうか?しかし本人は何も覚えてはいない。
子供がテレビに関心を示すとわざとらしくチャンネルを変える。
食事は同じテーブルでは取らず、誰も聞いていないのに「誰をクビにしてやった」だの
「中国人は死ねばいい」だの不快な話ばかり。
家で親父と食卓を囲んだ事すら無い。
糖尿病を合併し、足を悪くした今も、酒だけは這ってでも買いに行く。
弟は殴り合いの喧嘩になり、殺してしまう一歩手前まで行き、家を出ていった。
仕事も定年を迎える前に退職する形になり、以降ただの一人も会いにはこない。会社でも相当な嫌われ者であったことは想像に難くない。
夏に2年半続けた仕事を辞め、公務員試験の勉強をするために実家に戻ってきた俺を待っていたのは忘れていたこの父親の存在だった。
親父はもう仕事もできず、趣味である料理をするのみである。別に俺もお袋も、食べたいなんて思っていない。他にやる事も無いだろうからと、気を使って食べているだけだ。
が、ちょっとでも残したりすれば「汚い!!」と怒鳴り出す。
食事中は常にテレビを見るふりをしながらこちらを監視している。少しでも気に障れば翌日には飯の具材を抜くといった嫌がらせが待っている。
少し前まで犬をネコナデ声でかわいがったかと思えば、つぎの瞬間には鬼のような表情で怒鳴り出す。当然だが、うつ病も発祥しているのだ。しかし本人は頑なに認めない。
仕事も引退した今、残ったのは「俺は正しい」「俺は偉い」「お前達はバカで、おれのおかげで生きているんだ」というプライドで固められた、痛々しい老人だ。
最早会話も成り立たない。何を言っても次の瞬間には「お前がバカだから気に入らないんだ」と人格否定に切り替えられるだけ。
俺も母も、最早話す事も辞めた。言っても無駄だからだ。
こういう家庭に生まれ育った時、あなたならどうするだろうか?
この人間を救うことはできない。そのタイミングは、きっと俺が生れる前に過ぎ去ってしまっている。
俺が前の仕事を辞めたのは、出世や昇給が全く価値のないものに見えたからだし、そのために身体を壊してまで働くことに意義を見出せなかったから。
乱痴気騒ぎの飲み会が嫌いなのも、この父親を思い出すからだ。べろべろに酔っぱらった人間を見ると、その末路までイメージされるからだ。
そしてその価値観の根底に、この父親の存在は深く関わっている。
この父親という存在を飲み込みきらない限り、俺は自分の人生を生きることができないだろう。その予感がある。
だから、俺はこの人間を理解したいと思う。救うことはできないが、理解はできる。
それが、俺自身が(ひょっとしたら貴方も)こうならないために必要なことだと思う。
そのために、今日は我が家の歴史を軽く紐解く事にする。
アルコール依存症患者の記事を読めばすぐに、ある共通点に気が付く。
「孤独」だ。
「自分はまともに育ててもらえなかった」
「虐待を受けていた」
という親への孤独。
「仕事がうまくやれない」
「のけものにされている」
という仕事への孤独。
酒を楽しむレベルではなく、依存にまで導くのは間違いなくこの「孤独」に原因がある。
親父ももれなく「孤独」を抱えている。
曰く、最初の記憶は父親(俺にとっては祖父)が母親(祖母)を殴るのをやめてくれ、とすがりつく記憶である。
野球でどちらを応援するか聞かれ、応えると「じゃあ俺は反対のチームを応援する」と言われて育ったと。
祖父と祖母は沖縄の小さな島の出身だ。祖父は18の時に、まだ16であった祖母を連れて東京に出てきた(らしい)。まだ戦後間もない時代である。
祖父の親(俺からすると曾祖父に当たる)は祖父が小さい頃に蒸発。兄と2人で生きてきたそうだ。
祖父が祖母を連れて東京に出てきた時、祖父は別の相手との間に生まれた子が既におり、その子供も連れて出てきたそうだ。その上で祖母との間に子供を設けた。
それが親父と2人の叔母である。
20代で5人の子供を育てる事が、上手くいかない事は目に見えている。
だが、祖父には才覚があったのだろう。戦後の混乱もあったのかもしれない。不動産を営み、それらの子供を養う資産を作るほどになった。しかし一方で、祖父も祖母も当時は20代。
まして祖父は親の愛すら知らない。
親父は虐待を受けて育った。祖母はその事に気付いてもいない。祖母も必死だったのだろうし、やはり家庭を碌に知らなかったのだ。
その苦労は俺には計り知れない。
祖父が他界したのは、俺が1歳の頃であった。故に俺は祖父の記憶はない。
一方で、親父もまた、祖父と同じように社会的には優秀であった。
営業成績は40代当時、全国で一位だったそうだ。これは母がいうので間違いない。
その後も出世を重ね、弟も俺も私立高校である。
カネを稼ぐことは楽ではない。それが家族4人分となればなおさら。
親父の手帳には、びっしりと分刻みでスケジュールが書いてあった。
なんちゃら式に出席とか、なんちゃら会の幹事とか全く楽しそうなものではなかったが、そういったものを完璧にこなすことで、それだけの地位を築いたのであろう。
これは親父の最大の功績であり、素直に尊敬する。俺にはできない。
だが、そこには圧倒的にコミュニケーションが不足していた。家族は誰も、親父が何に苦しみ、何を目指したのか、本人の口から聞いた事はない。
きっと、会社の人達も知らなかったのだろう。退職後、誰も会いに来ない、電話の一つも無いのがそれを表している。
当然だ。親父はずっと、自分の父親(祖父)の事しか見ていなかったのだから。地位を築く事も、形を変えた祖父への復讐でしか無かったのだろうと、今は思う。
長くなってしまったが、これが俺の一族の歴史だ。
親に捨てられた子供が、その親を恨み続け、また自分の子供に同じ恨みを植え付けてきた歴史。
これは「呪い」だ。曽祖父の代から続く呪い。
本来であれば家を出て、縁を切ればをいいモノを、中途半端に金があるせいで、完全に離れる事もできない、家にかけられた呪い。
俺自身も、公務員試験の勉強をするためとはいえ、こうして実家に戻ってきている。
そして親父は、隙あらば嫌がらせをし、同じ呪いを植え付けようとしてくるのだ。
親父からすれば、俺が仕事を変えようと勉強を重ねる姿そのものが、目障りで仕方ないのだろう。自分と同じ捻くれ者になって貰わなければ、自分の人生を否定されたような気になるのだろう。
俺は、この呪いをいい加減に断ち切りたい。もうウンザリだ。過去は過去。今の自分がどう生きるかには関係ない。
過去が不幸なら、他人を罵倒する免罪符になるのか?
他人を怒鳴りつけて、見下して、傷つけていいのか?
金も名誉も、幸せにはしてくれない。
持っていないものを数えても不幸になるだけだ。
今あるもの、側にいる人を大切にしなければ、幸せになる事なんて出来ない。
俺にとって幸いだったのは、母が極めて真っ当な人間であるという事だ。
母は九州の田舎で職人の家に生まれ、しっかりと愛情を受けて育った。母方の祖父は人格者として評価が高く、死後も皆が「素晴らしい人だった」と言うほど。
母もその気質を継いでおり、俺と弟は親父では無く、母と時間を共有して育った。
今、俺がこの家の歴史を呪いと断言できるのも、母に愛情を教わったからに他ならない。
親父の生い立ちは確かに不幸だ。だが、それは全て遥か昔に終わった話だ。アルコールに溺れ、年老いた今、残ったのは傷ついた少年の中身をした、ボロボロの男。
ただ、悲しいと思う。
親父は真っ当にさえしていれば、アルコールに溺れさえしなければ、不幸な生い立ちを成功に変えたヒーローだっただろう。俺が幼い頃は、少なくともそうだった。しかしアルコールに依存した結果、嫌っていた祖父と同じように家庭を壊し、同じような加害者になった。
薬物が悪いというのは、表面的な理解に過ぎない。本質は「孤独」にあり、それを他者と共有できない、弱い心だ。
優秀であること、お金があることと、幸せはイコールではない。
だが、この資本主義社会は、隙あらば洗脳しようと働きかけてくる。
報酬をぶら下げ、地位を与え、日常を仕事で浸食し、それを「やりがい」とすり替える。それが最も会社にとって効率的な人間だからだ。
もちろん、それを家庭と両立できる人もいるだろう。だが、そういった人はごく少数なのはないだろうか?
親父は会社という組織に利用されこそすれ、自分で「仕事」と「家庭」を渡りきることはできなかったのだ。結果、人生の最後に孤独になった。
一人は無理だ。一人では生きていけない。
きれいごとではない。人間という生き物の本質がきっとそこにあるのだ。
さて、長々と語ってきたが、俺のアルコール依存症への見解をまとめると、
① アルコール依存症の根底にあるのは「孤独」である。
② 孤独は、「親(家族)への孤独」「仕事への孤独」で構成されている。
③ 故に、地位や名誉、金=幸せ ではない。
このようになる。
もちろん、正しいとは限らない。さらに言えば、これはただの解釈であり、何も解決はしていない。
「その孤独を理解したうえで暖かく接してやればいいじゃないか」
相手はうつ病の人間であり、機嫌が悪ければ突然怒鳴りつけてくることもある。いつ爆発するかわからない爆弾と、ニコニコあなたは話せるか?
「施設に預ければいいじゃないか」
残念ながら施設は本人の承諾なしに入館はできない。
では、このまま認知症に陥り、死ぬのを待つしかないと?
残念ながら、一番多いのはそのケースである。
冒頭述べたように、俺に親父を救うことはできない。今やっていることは、俺が親父のようにならないために、周囲の人間がそうならないように、その原因を辿り、家の歴史を辿る研究。
親父が死ぬまで、きっとそう長くはない。それまでに、俺は親父への思いに、決着をつけねばならない。何より、日常的に襲い掛かる親父の負のスパイラルをはねのけて、公務員試験に合格する事だ。
公務員試験まであと6日。他の自治体の採用も進んでいる。最終合格までいけば、6月には新しい仕事を始められる。
俺は親父を恨まない。こうして実家に戻り、勉強ができるのは間違いなく恵まれた環境だ。
どんなに罵倒されようと、そこは変わらない。
社会人を始める時、珍しく酔っていない親父に言われた言葉がある。
「お前は捻くれてないから大丈夫だ」
それは、アルコールに溺れきる前に親父が俺に残した、唯一の本心だったのだと思う。今はもう、そんな会話もできる事は無い。
この呪いは、俺の代で終わりにする。その為に、健康に続けられる仕事に就くのだ。
対しておもしろくもない話でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
纏まりが悪く一貫性の無い内容でしたが、何か一つでも読んでくれた人に気付きをもたらすものである事を切に願います。
おまけ
全然話変わるんだけど、そういった意味でも「ガンダム 水星の魔女」には期待している。親と子の呪縛についての話なので、何かしらの答えを見せてくれそうな気がする。
プロスペラが娘を復讐に利用しようとしていると知ったとき、どんだけ憤ったか。
あんたそれだけは絶対にやるなよ、と。
グエルとヴィムの物語が、どれだけ強く刺さったか。
だからこそ、スレッタには期待したいのだ。呪いを断ち切り、自分の意思で未来を開いてほしい。君よ、気高くあれ。