先日、六本木森美術館にて、「未来と芸術展」
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/future_art/04/index.html
を見てきた。テクノロジーとアートを並べ、未来について考えるという物で、あまりの面白さに2日続けて鑑賞した。何がそんなに面白かったのかというと、この展覧会自体が
「客に未来をシミュレートさせる」
作りになっていたからだ。例えば、生態科学によって人間は不老不死に近づく。3dプリンターを使えば、心臓すら完璧に生産できる。サイボーグになれば、老化の苦しみから解放される。
建築物は有機的に動くようになり、人間が働く事すらいらない時代がやって来る。
思わず上がるテンション。高まる未来への期待感。
その後、アートのコーナーに展示されていたのがコレだ。
良いセンスだ。この流れで何も感じない人がいるだろうか。私もつい、テクノロジーがもたらす未来について考えたくなった。
家に帰った私は、早速SF作品を漁った。その展覧会で友人が言っていたのだ。創作は一種のシミュレーションだ、と。全く同意である。つまり、SF作品は娯楽だけでなく、未来予測としても見る事ができる。(当たり前なんだけどね)
そして辿り着いたのがこの作品。
虚淵玄(まどマギの人)原案、本広克行(踊る大捜査線の人)監督のSFアクション、「PSYCHO-PASS」だ。同作品のあらすじは以下の通り。
人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」(以下シビュラ)が導入された西暦2112年の日本。人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。
その中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた。
そのような監視社会においても発生する犯罪を抑圧するため、厚生省管轄の警察組織「公安局」の刑事は、シビュラシステムと有機的に接続されている特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた。
本作品は、このような時代背景の中で働く公安局刑事課一係所属メンバーたちの活動と葛藤を描く。
まあめっちゃ面白い。騙さないから見てほしい。色々語りたいが、今回注目すべきは、「機械が算出した数字に人が従う」という世界観だ。これはシミュレーションとして非常に完成度が高い。
現実でも、「AI(信用)スコア」というものが登場している。
その人のパラメータを数値化し、その数字によって適切なサービスを提供する。「あなたの未来の可能性」が数字でわかる。
既に中国では実用化され、「信用」を数値化し、その大小によって受けられるサービスが変わってくる、という状態になっている。
https://wired.jp/2018/06/26/china-social-credit/
コレ、PSYCHO-PASSの「シビュラシステム」と何が違うのだろうか?いや、勿論大きく差異はあるし、犯罪係数のようなものは出てこない。しかし、「機械が人の価値を判断し、数字にする」という点は同じだ。
現に中国の実験では、「スコアが低い友達とつるむと自分のスコアに響くから付き合いをやめた」という人が出てきたという。
確かに便利になるのだろう。サービスはより最適化され、手間は減り、より自由に生きていけるようになるのかもしれない。
だが、その数字はどのような基準で算出されるのか?
そもそも本当に、人の価値は数字に換算できるものなのだろうか?
「私の価値」の判断を機械に任せた時、そこに人としての自立はあるのだろうか。
PSYCHO-PASSを始め、近年は素晴らしいSF作品が多く登場している。好みのところで言うと、ps4ゲーム「Detroit become human」や、映画「トータル・リコール」アニメ「機動戦士ガンダム00」など。だが、それらのテクノロジーに対する答えは、いつも同じ。
「完全なシステム」はありえない。なぜなら、生み出しているのは不完全な人間だからだ。
便利だから。簡単だから。分かりやすいから。
無意識に、人の方から思考を放棄してしまっている。
今、「GPSで他人の居場所が分かるアプリ」があるらしい。友達間で入れている人もいる。相手がどこにいるか、常に地図上に表示されるのだと。そこに気味悪さを覚えるのは、果たして自分だけか?「便利だから」の裏に、何か恐ろしいものの影が見える。
あなたは、どう思うだろうか。