サカナクションのここが好き!語り 

サカナクションが好きだ!と言う思いを、そのまんま文章にしてみようと思う。サカナクションが何なのか分からない、と言う人は(いるのか?)新宝島のバンド、と言えば伝わるだろうか。あの独特のサウンド、独特の歌詞、独特の雰囲気。それが何なのか、自分なりにまとめてみたい。

 

・根底にある「違和感」

サカナクションの歌は2種類ある。一つは、自己の内面に深く深く潜っていくような、ディープな感覚を与えてくるもの。もう一つは、メジャーにも届くポップなもの。どちらにせよ、

「フラれた、悲しい...」とか、「諦めんな、頑張れ!」みたいな、ダイレクトなものではない。

♪ ポップな代表作、「新宝島

https://youtu.be/LIlZCmETvsY

 

♪ ディープな代表作、「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」

https://youtu.be/tZbXHt3xPr8

 

サカナクションのボーカル、山口一郎氏はインタビューでよく、「良い違和感」と口にしている。メジャーではない、だがなんだか耳に心地よい。そこを目指す為に、たった一音、歌詞の一文字にこだわって制作していると。

この「違和感」を目指すと言うことは、つまるところ「孤独感」を表現する事なのではないかと私は思う。

 

サカナクションの表現する「孤独」

サカナクションは一度、「ミュージック」で紅白に出場している。2013年の事だ。本来ならば、ここからどんどんヒット曲を量産し、メジャーに爪痕を残すのが正攻法だ。しかし彼らはそうしなかった。次のシングルは「グッドバイ/ユリイカ」。とても内省的な二曲だ。特に「グッドバイ」の歌詞は深いメッセージ性がある。

 

♪「グッドバイ」

https://youtu.be/kt5-Al0CMuk

 

探してた答えはない

此処には多分ないな

だけど僕は敢えて歌うんだ

わかるだろう?

グッドバイ 世界から知ることもできない
不確かな未来へ舵を切る

グッドバイ 世界には見ることもできない
不確かな果実の皮を剥く

欲しいものはひとつもない

辿ってた ストイックな線を

だけど僕は君を待ってしまうだろう

ここに立って

すぐに変わってしまうだろう

グッドバイ 世界から知ることもできない
不確かな未来へ舵を切る

グッドバイ 世界には見ることもできない
不確かな果実の皮を剥く

 

分かるだろうか。山口氏は後に、「この曲は "メジャーからドロップアウトするよ"という宣言だった」と述懐している。良い違和感を目指す為には、メジャーで政治的な事をやっても仕方がない。だからヒット作は目指さないよ、と。(それによってファンの"血が濃くなる"とも)

それは一見理解されない、孤独な道だ。世間から「なんで?」と言われ、スポンサーからも叩かれるだろう。だが敢えてそれをやる。違和感を目指すと言うことは、皆と違う、独りぼっちの道を進んでいくことだ。つまるところ、それは孤独と向き合う作業だったのではないだろうか。

 

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そして2015年、サカナクションは「新宝島」でメジャーに再び爪痕を残す。メジャーに背を向け走った結果、世間はその姿勢を「良い」と認めたのだ。それは、彼らの表現した「孤独感」に対する評価だったのではないだろうか。

兎にも角にも、サカナクションの表現は非常にアート的だ。何かを表現する、という事を徹底的に拘る。ストレートに「ドロップアウト」という曲を作り、「メジャーなんかクソくらえ」とはしない。より深く潜って表現する。あたかも「サカナ」のように。

ここからは私が常日頃感じている事になるが、

人間は似たような姿形をしていても、内面は別の生物と言って良いくらい異なっている。

私達はひとりひとり、この世にたった一種類の生き物で、完全に誰かと分かり合う事はできない。自分の内面を、誰かと完全に共有する事はできない。それは絶対的な孤独だ。

だからこそ、サカナクションの表現は、私達に刺さる。その在り方が、自分の孤独と繋がっているから。

 

アルクアラウンド」

https://youtu.be/vS6wzjpCvec

僕は歩く つれづれな日 新しい夜 僕は待っていた

僕は歩く ひとり見上げた月は悲しみです

僕は歩く ひとり淋しい人になりにけり

僕は歩く ひとり冷えた手の平を見たのです

僕は歩く 新しい夜を待っていた

覚えたてのこの道 夜の明かり しらしらと

何を探し回るのか 僕にもまだわからぬまま

嘆いて 嘆いて 僕らは今うねりの中を歩き回る

疲れを忘れて

この地で この地で 終わらせる意味を探し求めまた歩き始める