イサムノグチ 発見への道 展

先日、およそ半年ぶりに美術館へ行って来た。コロナの影響で、苦戦するアート業界。

見たい展示は多かったのだが、中止になったり予約制になったりで、ついつい足が遠のいてしまっていた。

そんな自分に「これは行きたい!」と思わせたのが、これ。

 

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サカナクション、山口一郎のプロデュースした、サウンドツアーだ。

 

勿論イサムノグチ自身にも興味は持っていたが、ダメ押しはこれだった。元より一郎さんは、音楽と生活、音楽と食事、と言ったように、音楽と何かの融合を探り続けている。これもその一貫か。

 

期待に胸を高鳴らせ、いざ上野へ。霧のような雨が一日中降り続いてた。それもまた、美術鑑賞にはぴったりな気がした。

 

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さて、イサムノグチとは何物か?という話だが、

 

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日本人を父に、米国人を母に生まれたイサム・ノグチ(1904-1988)は、東西の間でアイデンティティの葛藤に苦しみながら、独自の彫刻哲学を打ち立てた20世紀を代表するアーティストです。20代で彫刻家コンスタンティンブランクーシと出会い、そのヴィジョンに影響を受けたノグチは、自然のフォルムが生み出す世界を、生涯を掛けて追い求めました。ノグチは戦争によって、両親の祖国が互いに敵国になるという事を経験しており、平和への強い願いを込めた作品も残しています。本展では、彼の「発見の道」を辿りながら、ノグチの日本文化への深い洞察を明らかにし、彼の芸術の核心に触れる機会にしたいと考えています。

 

戦争の混乱の中、自身のあり方に迷いながら、父方の故郷日本の持つ「軽み」に惹かれ、晩年は彫刻の中にそれを見出していった。実にドラマである。

アーティスト1人に焦点を当てた企画展は、その作家の人生の追体験として楽しむことができる。

 

この時期にはどんな歴史的事件があったのか?

 

作者は何に悩み、何を表現しようとしてこの形を選んだのか?

 

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ブルーピリオドより

 

自分もノグチに憑依しながら見ていこうと思い、入り口をくぐった。

 

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まず目に入ったのは、大きくスペースを取る提灯の群れ。イサムの最も有名な「akari」だ。

 

彼はインテリアデザインも行っており、この作品、今でこそ高級居酒屋で似たような物を見かけたり気もするが、彼がパイオニアである。

 

日本人には馴染み深すぎて気にされなかった独特の「明かり」を、彼は部屋にもたらした。

 

山口一郎の解説が、ヘッドホンから流れてくる。

 

「僕が一人暮らしを始めた時、この明かりを購入し、その下で音楽を作り続けて来ました。イサムはどんな音楽を聴きながら、作品と向き合って来たのか。当時の楽曲をセレクトしてお届けします。」

 

流れてくる戦後の音楽に耳を傾けながら、彫刻の中を歩く。

 

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正直、初期の作品は自分にはピンとこなかった。ユニークではあるものの、メッセージ性を見出し難く感じたのだ。

 

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びっくり箱だろうな、って思ったらタイトル「びっくり箱」だった 笑った そんな見たままの作品逆に少ないぞ

 

が、そんな中にもいくつかユーモラスな作品が混ざっており、「きっとこの作者は面白いやつだったんだろうな」とぼんやり思った。

 

二章へ入ると、そのユーモラスさが一気に花開く。丁度、「軽み」を見出した時期だ。

 

鉄の作品と、紙の作品。丸みを帯びた彫刻と、鋭く尖った彫刻。

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流れてくるミュージックも、当時のアメリカで流行っていた楽曲に変わる。鉄の醸し出す無骨さと、紙と光が生み出す優しさ。

 

両方を扱うイサムが、その違いを感じていなかった訳がない。

 

戦争で日本とアメリカ、どちらの集団にも属しきれなかったイサムの生い立ちと、目の前の作品が重なる。

 

こういう瞬間と気づきの、面白い事面白い事。

 

そして最後の部屋。写真撮影は禁止だったので公式サイトの物を。

 

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「岩」だ。が、ただの岩ではない。一面ごとに別の形にカットされ、違う磨かれ方で輝いている。一面は尖った針のように、一面は滑らかな水のように。ぐるっと回るとわかるのだが、見る角度で全く別物に見えるのが面白い。

 

イサムは日本の自分のアトリエにこの岩を配置した。館内にも森のさざめきと鳥の声があえて流されている。

 

自分にはどう見えるか。自分はこの作品から何を感じるのか。

 

結論としては、「可能性」を感じた。一つの石の中に、イサムは様々な切り口、色、質感を生み出した。同じ物質の中に、様々な形が内包されている。

 

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人の心に反応して姿を変える一角獣。白い身体がガンダムに変身する事で、可能性が人の内にある、という事を示すデザインだとどこかで読んだことを思い出した

 

最近、「正解」について悩むことが多かった。「集団」の中で正解とされる事と、「個人」の中の正解は常に食い違う。

 

だが、目の前の岩のように、「色んな側面がある」と、認めることができたならどうだろうか。

 

少し心が楽になる気がする。それこそ、イサムが求めた「軽み」なのではないかと。

 

つくづく思う。もっと楽に、気楽に皆生きられないものかと。皆たった一つの正解を求めすぎている。この自分自身も。

 

そんな物は無い。現実は学校のテストでは無い。終わりも正解も無い。

 

様々でいいのだ。その時ごとに、答えなど違っていい。たった一つの岩の中にさえ、これだけ多くの面があるのだから。それをノグチは伝えたかったのでは無いか。

 

イサムノグチ展、山口一郎のサウンドツアーと合わせて、素晴らしかったです。まだ会期中なので、よければ是非。

 

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ちなみに帰りにこれも見ました。面白かったので興味ある人は是非。アツいぞ。