生きていると、色んなルールがある。社訓、校則、法律、暗黙のルール、マナー、などなど。
そういったルールを受け入れ、自分をそこに合わせながら、君も俺も成長してきた...んじゃないかと思う。けど、そこには大きな落とし穴がある気がしている。
今年4月、地獄のような入社前研修を受け、コロナの中これまた地獄の引っ越しをして、誰も想像もしなかった状況の中走り続けて半年間。
幸い良い上司に出会い、かなり面白おかしい毎日を送っているけれど(大変な事も山ほどあるけど)、大きな反省があるのだ。
それは、「ルール」を基準に選んできたな、という事。
例えば、何時に学校へ行く。何を食べ、いつまでに何の勉強をし、何時にバイトするか。全て、「自分にとってやりやすいルールかどうか」を基準に選んできた。君もそうなんじゃない?学校は、ルールを守る以外の事は教えてくれないし、それが一番評価される場所だ。
だけど、この「ルール」って奴はとても厄介だ。何故なら、作った奴に都合良くできている。
会社の採用条件や給与案内など、当然ウソだ。
「実は無言の圧力で休日も働きます」「実は給与から引かれます」こんな事ばかり。
ルールは偉い奴の味方で、俺たちなんでもない奴らの味方じゃないんだ。
じゃあ、何を基準に選べば、俺たちは楽しく、自分のやりたいことをやれるんだろう?
それはきっと、「文化」だ。
実は、今の仕事と転職前の仕事、ルールで見たら大差は無い。違うのは、「そこに集まる人の空気感」。
・例えば困難にぶつかった時、他人のせいにするか?自分達の反省とするか?
・トラブルがあった際、責任を追求するか?それとも分かち合うか?
こういった"集団の感覚"ってのは、ルールに載っちゃいない。俺は、感覚が合わなかったから思い切って辞めた。で、今は7割くらい自分に感覚が合う会社だから、頑張れている。そんな感じだ。
ルールは、決めたやつがいる。文化は、集まった奴らが自然と生み出す。
自然に生み出された「文化」は、ルールより硬い。文化(というか、ノリ)が合わなきゃ、辞めていい。サークルや部活を選ぶなら、きっと貴方もそうする筈だ。根本にあるモノは同じ。
文化を基準に選んだ方が、きっと楽しく生きていけるぜ。って訳だ。この話はまだ掘り下げられそうなので、続きはまた今度という事で。
どんな夢を見に行こうか
正しさばかりに恐れ戦かないで
自由自在に飛び回って
ステップ・バイ・ステップ
ビートを刻んで
果ての無いパーティーを
続けようか
この時代に飛び乗って
今夜この街を飛び立って
大空を飛び回って
命揺らせ 命揺らせ
この風に飛び乗って
今夜台風の目となって
大空を飛び回って
命揺らせ 命揺らせ
こんなテンションで生きていきたい、今日この頃。